ニュルンベルクの街郊外へ

世界オーガニック見本市(ビオファ)で賑わう会場の一方で、この街は戦争の傷跡が大きく残る街として、だだならぬ空気を感じる街でした。

チンチン電車に乗って、役10分の郊外には、戦争博物館として残された場所がありました。

近くに池があり、その向こうに木立が並び、その向こう辺りにあるのが、ゼッペリン広場。

1933年にヒトラーは政権の主権を握り始めた頃から、壮大な計画のもとに作れたナチの象徴となり、様々な写真が残されているのだけれど、今は取り壊されていて一部しかなく、立ち入りできなくなっていた。

そこまでに歩いて行く道は、とても空気が冷たくて、辺りの静けさは少し心細くなり、鳥のさえずりさえも、あまり心地良くなくて、モヤがかかった景色に、少々の心の準備をしての歩き道でした。

象徴とされた場所、実際にも広大すぎるほどの土地で、ここに人たちは、米粒のように埋め尽くしていた写真をリンクしてぞっとする。

人のあまりにも愚かさを感じる場所でした。

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戦争博物館として、今もなお残されている建物は、ナチの議会が行われていた建物で、館内も、建物をそのまま生かしており、負の遺産である戦争についてをしっかり残されている。順路にそって、心なしか恐る恐る進んでいく。

教科書でみて習ったはずのことだけれど、受け入れられずに私の頭の中で風化していることばかりで、一歩一歩進んでいくたびに、改めて考えさせられることばかりでした。

中庭が見えるように工夫されており、そこだけ外の空気に触れるのだけれど、なんとも言えず、立ち尽くす場所でした。

多くのユダヤ人が強制され、犠牲になっていた事実、ナチという組織のなりたち、あまりに残虐、残酷なことを繰り返してきたという事実、館内に残された写真や映像からだけでなく、ここに来ただけで感じることがたくさんありました。

人として、私にはさっぱり理解できないことばかりでした。

古い文献も残されていました。

’赤ちゃん’の写真も展示されていました。

ヒトラーが、どうしてこうなったのかを考えてみたり、どうしてこんなになるまで人は気づけないのだろうと想ってみたり、今の社会に生かされていることにも、考えされられたり、今の社会も少なからず、事の大小に関わらず同じようなことが現実にあることも知っているし、どうしてこんなに人って愚かなんだろうっと、分かち合えないのだろうと悲しくてたまらなくなりました。

やっぱり理解できないことが、いっぱいです。

順路の最後にはこの写真。

国連につながっていく、4国の国旗を前に、現在があるこれまでの歴史に感慨深くただ写真を見つめていました。

秩序ある社会には、個人の一人一人の心がけが大切であること。

その社会にある宗教の信仰の自由について、自由という意味を履き違えてはいけない。

思春期の私に、父から言われてきた言葉、
『自由とは何事も義務や責任から成り立つものだ。
おまえの自由とは何かよく考えろ』と。

身勝手なものではいけないはずだから、もっと、モラルの基盤になる価値観をしっかり見直して、分かち合うことのできる心を持って、マインドフルネスな世界を願いたい。